陸中宮古「姉ヶ崎」探訪ルポ

 「姉ヶ崎」という地名を聞いて真っ先に思いつくのは、やはり内房線の姉ヶ崎駅だろう。千葉県市原市姉崎(地名の読みは
あねさき」)に位置し、周辺は石油化学コンビナートなどが林立する、京葉工業地域真っ只中の駅である。
 だが実は、私の知る限り、国内にはもう1か所だけ「姉ヶ崎」という名のつく地が存在する。
 それは、岩手県宮古市にある「姉ヶ崎」だ。
 同じ「姉ヶ崎」でも、宮越の「姉ヶ崎」は、千葉県の「姉ヶ崎」とは似ても似つかない場所である。自然は豊かだし、宮古駅からは5㎞以上離れている。そこまで行く公共交通機関も、極めて不便である。自動車以外でどうしてもそこに行きたければ、自転車かタクシーを使うか、あるいは歩くほかない。
 これは、そんな宮古市の「姉ヶ崎」を、実際に訪問してきた記録である。
 


Yahoo!地図の画像をもとに作成)

                    *

 2010年8月某日。
 札幌から乗車した急行「はまなす」号は、5時39分、定刻通り青森駅に到着。6時10分発の東北本線・普通列車八戸行きに乗り換える。オールロングシートの701系電車が定番であるこの地域の東北本線にあって、この列車は珍しくディーゼルカーで、ボックスシートが装備されていた。
 12月の東北新幹線の新青森延長に伴い「青い森鉄道」に転換される東北本線を走る。大きな駅では後から来る特急列車を先に行かせるための待ち合わせもあったが、この光景も、もう間もなく見納めとなる。
 8時16分、八戸駅到着。8時52分発の青い森鉄道・IGRいわて銀河鉄道直通の盛岡行きに乗り換える。2002年12月の東北新幹線・盛岡―八戸間開業に伴い一足先に第3セクターに転換された路線で、県境の目時駅までが青い森鉄道、目時駅から盛岡駅までがIGRいわて銀河鉄道となっている。
 列車は701系の2両編成で、旅行シーズンのせいか大きな荷物を持った人が多く、車内はけっこう混み合っている。もっとも、旅行客の大半は、線内でも利用可能なJR東日本とJR北海道の企画乗車券「北海道&東日本パス」利用者であろう。
 10時54分、盛岡着。11時04分発の山田線の快速「リアス」宮古行きに乗り換える。キハ110形ディーゼルカーの3両編成で、盛岡駅を発車してしばらくは市街地の中を走るが、程なくして山の中を走るようになる。北上高地の人口希薄な山岳地帯を走る路線とあって利用客は少なく、もう11時台にもかかわらず、実はこの列車が、盛岡から宮古まで走る始発列車なのだ。このような地域にもかかわらず鉄道が敷設されたのは、「我田引鉄」に熱心だった政友会所属の議員にして岩手県出身の首相・原敬の影響力によるところが大きい。当時の帝国議会でこの路線の敷設が議論された際、野党・憲政会の議員が「猿でも乗せるつもりか」と非難し、これに対して原が「鉄道規則では猿は乗せないことになっております」と平然と答弁した、との逸話が残されている。
 もちろん、三陸地方最大の都市・宮古と県都・盛岡との間の輸送需要は、それなりにあると思われる。だが現在、盛岡と宮古との間の都市間輸送は、山田線とほぼ並行して走る国道106号線を経由する「106急行バス」のほぼ独壇場であり、鉄道はバスに対し、全く歯が立たない状態となっている(もっとも、これはある意味、JRと106急行バスを運行する岩手県北バスとの「棲み分け」策と取れなくもないが)。
 2時間をかけて山間部を走り抜け、13時03分、宮古に到着。

 ここから、いよいよ問題の「姉ヶ崎」に向かう。

 ところで、宮古駅から姉ヶ崎に向かう際、問題となるのは交通手段である。宮古駅から姉ヶ崎までは10km程度離れており、「最寄り駅」となる三陸鉄道北リアス線・一の渡駅からでも5kmほどの距離がある。姉ヶ崎に近い「休暇村陸中宮古」までは宮古駅から路線バスも運行されているが、ダイヤはかなり不便であり、宮古駅を発車したバスは終点の「休暇村陸中宮古」に着くと滞留時間ゼロで折り返してしまい、下車してしまうと次のバスは2時間後、という有様である。
 そこで私としては、やはり自転車で移動したい。ところが、ここでもやはり問題が生じた。インターネットでいくら調べてみても、宮古駅周辺のレンタサイクルの情報が、全く出てこないのである。宮古のような観光都市であればレンタサイクルがあって然るべきなようにも思われるが、これは一体、どうしたことか。
 私は一か八か、観光案内所で尋ねてみることにした。
 レンタサイクルがあればそれを利用し、無ければ13時12分発の北リアス線列車で一の渡駅まで行き、そこから歩く。そんなプランを用意して、駅の横にある観光案内所に行ってみると――
 全く予想外の場所で、自転車を貸してくれることが判明した。しかも無料だった。

                    *

 宮古市街を東西に貫く、沿道に商店が連なる細い道を通り抜ける。そして、市街地の外れ、宮古市役所のある辺りで、三陸海岸を南北に走る国道45号線に合流する。
 そこから入って少し走ると、国道45号線は左折であることを知らせる案内表示が姿を現す。矢印の上には「久慈」、下には小さく「浄土ヶ浜」の文字が見える。そして、案内表示に従って左折すると、すく目の前に現れたのは、
 いきなり、とんでもない上り坂だった。


↑↑左折前


↑↑左折後

 激坂、というほどのものではないが、それでもかなりの急勾配である。照りつける太陽と相まって、早くも心が折れそうになる。が、ここまで来ておいて、今更引き返すわけにもいかない。こういう時こそ、志村坂(板橋区内の国道17号線にある坂。頂上に都営地下鉄三田線の志村坂上駅がある)を毎日自転車で駆け上ることで鍛えてきた脚力を発揮する時である。気合と意地で、登り進む。
 が、進めども進めども坂道は途切れない。一瞬だけ平坦な道になったとしても、その先には、またすぐに上り坂が控えている。
 なぜ宮古に観光客向けのレンタサイクルがないのか、分かった気がした。急坂の連続で、観光スポットの行き来に自転車が適さないのである。
 その宮古の観光スポットの一つである浄土ヶ浜へ向かう県道が右に分かれ、なおも続く上り坂をしばらく進むと、国道の左側に郵便局が現れる。「宮古日の出郵便局」。休憩を兼ねて、ここで旅行貯金をする。冷房のよく効いた待合室は心地よいが、通帳に局名印を押してもらう時間だけでは、汗は全く引いてくれない。
 郵便局を後にし、再び上り坂に挑む。少し進むと、今度は下り坂となり、足を休めて坂道を駆け下りる。しかし、その先には再び上り坂が控えている。

 しばらく上り坂を進んでいると、突然、後輪のほうから「ガガガガガッ!」と鈍い金属音がした。そして、ペダルを踏んでもただ空転するだけで、今まで感じてきた重さがない。車輪が回転せず、坂道の途中で停止してしまう。
 慌てて自転車を歩道に乗り上げさせ、見ると、

 チェーンが、外れていた。

 一瞬、もはやこれまでか、という思いが頭をよぎる。が、ここで終わるわけにはいかない。チェーンが外れるなどという経験は初めてだが、幸い、チェーンが外れてもその場で直そうと思えば直せることは何となく知っていたので、とにかく、チェーンを気合いで歯車に絡みつかせようとしたり、ペダルを回転させたり逆回転させながら何とか歯車に乗せようと、両手を油まみれにしながら試行錯誤を繰り返す。
 そして、約5分後。
 ペダルをゆっくり逆回転させながらチェーンを持ち上げて歯車に乗せようとしていたところ、「ガチャン!」という音と共に、チェーンは再び歯車に巻きついてくれた。

 チェーンが外れたのは山道のど真ん中で、周辺に水道のようなものは見当たらない。やむをえず、ペットボトルの水(宮古駅の水道の水)を使って気休め程度ながら油を洗い流し、先へと進む。そして、上り坂をさらに進むと、やがて前方に、「崎山」という地名と、「休暇村陸中宮古」方面へ向かう県道259号線が右に分岐することを知らせる案内表示が現れる。この案内表示のところで右折して国道45号線と別れ、県道に入る。その県道を少し進むと、今度は、「休暇村陸中宮古」へは左折するよう指示する看板が現れる。看板は2枚あり、上の看板には「潮吹穴 休暇村陸中宮古 これより先3.0km」、下の看板には「姉ヶ崎サン・スポーツランド(屋内温水プール) これより先約3.5km」と書かれている。なお、「潮吹穴」とは、浄土ヶ浜と姉ヶ崎の間の海岸にある、地上につながる穴がある海食洞(波の侵食でできた洞窟)で、大きな波が押し寄せると、波の圧力でこの穴から海水が噴き出す、とのこと。(参考→宮古市ホームページ内の観光情報

崎山交差点

姉ヶ崎分岐点

 看板の案内に従って左折し、しばらく進むと、今度はその「潮吹穴」に向かうには右折、「休暇村陸中宮古」に向かうには左折であることを示す看板が現れる。姉ヶ崎に向かうには左折する必要がある。

 道の左右には、森林が広がっている。道路の上に覆いかぶさるように木々が生い茂り、日差しを遮ってくれる。そして、海岸が近づいてきたのだろう、道は下り坂となり、自転車は快調に飛ばすことができる。
 頭上に「これより先 陸中海岸国立公園」と書かれた看板が現れる。「姉ヶ崎」と書かれた看板も、柱のところにくくりつけられている。



 さらに進むと、「姉ヶ崎サン・スポーツランド」という施設が現れる。岩手県北バスのバス停もあったので、写真におさめる。

 やがて、進行方向の先に建物が見えてくる。「休暇村陸中宮古」の施設で、道路はここで行き止まりになっている。「姉ヶ崎」に向かうには、いったいどうすれば――そう疑問に思いながら辺りを見回すと、建物の脇に「陸中海岸国立公園 姉ヶ崎案内図」と書かれた環境省名義の地図看板が掲げられ、「姉ヶ崎展望所」までの道も書き込まれている。どうやら、車両が入り込めるのはここまでのようで、ここから先は歩いていくほかないようであった。

姉ヶ崎案内図

 適当な場所に自転車を置き、姉ヶ崎に向かって歩く。森の中に延びる遊歩道を道なりに進むと、やがて海が見えてくる。波しぶきの音が聞こえてくる。道が二手に分かれ、「姉ヶ崎展望台」への道を示す木製の表示が設けられている。
 そして、程なくして、「姉ヶ崎展望台」に出た。

 この辺りはウミネコの繁殖地らしく、屋根つきの展望台には、鳥の特徴などを記した解説版も掲げられている。
 そして、この展望台から望む岩山こそが、「姉ヶ崎」なのだった。

遊歩道
遊歩道にて

姉ヶ崎
姉ヶ崎

                    *

 一般的には、三陸海岸全域が「リアス式海岸」と称され、この地を走る三陸鉄道には「北リアス線」「南リアス線」の名称が付されている。だが厳密には、三陸海岸の宮古市より北は「リアス式海岸」とは言えない。「リアス式海岸」とは谷が沈降してできた入り江がギザギザに連続している海岸のことをいい、宮古市を境として三陸海岸の南部は沈降地形の典型的なリアス式海岸である。ところが、三陸海岸北部は「隆起」してできた地形であり、厳密に言えば「リアス式海岸」の定義には当てはまらないのだそうである。
 だが、「リアス式海岸」の厳密な定義はどうあれ、三陸海岸一帯が、山地が海岸まで迫る急峻な地形であることに変わりはない。そのような地形ゆえ、外部との交通は困難を極め「陸の孤島」などと呼ばれ、また津波災害により度々甚大な被害を受けてきた土地でもあった。
 この三陸の地を南北に貫く鉄道を通そうという構想は明治時代からあったが、当時の土木技術ではこの地に鉄道を建設することは困難だった。戦後、長大トンネルの掘削技術をはじめとする技術の進歩とともに鉄道建設がようやく現実的なものとなり、1970(昭和45)年7月1日に盛~吉浜間(盛線。現・南リアス線の一部)、1972(昭和47)年2月27日に宮古~田老間(宮古線)、1975年7月20日に普代~久慈間(久慈線)が開業し、残る吉浜~釜石間と田老~普代間についても建設工事が進められた。しかし、1980(昭和55)年に国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)が施行されると、建設中の区間は工事中止に追い込まれ、既に開業していた区間も第一次特定地方交通線として廃止対象路線に指定された。
 悲願達成を目前にしての工事中止。だが、ここで岩手県や沿線市町村などの決断により、第3セクター方式による鉄道会社を設立して廃止区間と建設中止区間を共に引き受け、全線を開通させることになる。かくして1984(昭和59)年4月1日、三陸鉄道北リアス線、南リアス線として全線が開業するに至ったのである。
 開業初年度、三陸鉄道はまさかの単年度黒字を計上し、世間を驚かせた。しかしながら、過疎化とモータリゼーションの進行によって乗客数、黒字額とも年々縮小。1993(平成5)年度に赤字に転落して以降は、年々累積赤字が拡大するという苦境に立たされている。

 「鉄道むすめ」というキャラクターコンテンツが存在する。以前、当サイトでも簡単に紹介したことがあったが、要するに、鉄道現場で働いているという設定の女性キャラクターのフィギュア作品、および、それを基にした書籍、CD、ゲーム等のメディアミックス作品のことである。鉄道ヲタクと萌えヲタクを兼ねているような人をあからさまにターゲットにしたビジネスであるが、三陸鉄道関係でも、運転士と駅係員をモデルにしたキャラクター(それぞれ、「久慈ありす」と「釜石まな」)が登場している。
 三陸鉄道は、この「鉄道むすめ」とタイアップした商品開発にひときわ熱心なことでも知られている。赤字に苦しむ三陸鉄道の必死さの表れと言ってしまえばそれまでではあるが、しかし、地域の足を、悲願の鉄道を何としても守り抜こうとする強い意思を感じさせる。

 宮古駅前には「三陸鉄道 いま成る」と題する碑文が建てられている。三陸鉄道の開通までの苦難の道のりを知ればこそ、この碑文は、読む者に対して強く訴えかけるものがある。

    三陸鉄道 いま成る
 我等の先輩が 鉄路への志を發してより九十年
 その間 津浪にもめげずに立ち上り 又フェーン災害 ヤマセ乃悲風等
幾多沿岸特有の悪条件に抗しつつ ふるさとなる我が三陸を守
り来たりたる沿岸人四十万は 今ぞ南北に鉄道を打ち貫く事を得たり
 先人よ 照覧せられよ
 後進よ この業乃上に 更に三陸の未来を創建せよ
 この鉄路こそは沿岸住民の生活 経済 文化の動脈たり 而して
全國遊子の陸中海岸国立公園探勝の絹路なり
 ここに三陸鉄道打通に身魂を捧げたる先人の功を 碑を建て
て深く頌し 更に後進我等の奮闘を決意するも乃なり


三陸鉄道 いま成る
「三陸鉄道 いま成る」の碑文

ポスター
久慈ありす(左)、釜石まな(右)のポスター (釜石駅にて)
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