【北海道自転車旅行】4日目 天塩⇒稚内 その1(天塩⇒浜里(幌延町))

4日目【2016年8月17日(水)】 天塩⇒稚内 約84.4km


 
(1) 天塩⇒浜里(幌延町)

 8月16日夜の時点で台風7号は関東地方に接近しており、テレビのニュースでは暴風雨に見舞われる銚子の様子を流していた。この台風の影響か、私が宿泊していた天塩町でも夜8時頃にはとうとう雨が降り出してしまった。天気予報は、明日の道北は1日中雨になる見込みだと伝えていた。
 来るべきものが来た。晴天が多い(はずの)夏とはいえ、2週間に及ぶ長旅ならば、どこかで雨に降られることも当然、覚悟しなければならない。だが、それがよりによってこのタイミングとは! 明日走るのは天塩から稚内まで、しかも絶景ルートとして名高い北海道道106号稚内天塩線を走る予定だった。
 文句を言っても仕方がない。とにかく、対雨天用装備をすぐに取り出せるように準備し、明日に備える。明日は特に午後から大荒れになるという予報だったので、朝はまた早めに出発したほうがよさそうだ。

 翌朝は5時に起床。予報どおり、外は雨が降っている。とりあえず昨日買った食糧で腹ごしらえをしながら、天気予報とにらめっこで今日の作戦を立てる。

 ところが――驚いたことに、朝7時前に、雨が止んでしまったのだ。

07:20 出発
 雨が止んだとはいえ、いつまた降り出すか分からない。とにかく早めに出発するに限る。チェックアウトの時、宿のおばちゃんが「自転車を拭いて」と言ってタオルを差し出してくれた。ありがたかった。


「サンホテル」前にて

07:22 天塩市街を進む


 分厚い雲が空を覆い、いつまた雨が降り出してもおかしくない状況だ。だが、わずかに晴れ間のようなものも覗く。この天気、いつまで持つだろうか。

07:29 道道稚内天塩線へ


07:38 牧草地を走る


 天塩市街を抜けると、辺りは牧草地になる。さすが、ここは酪農の町である。
 交通量がほとんどない。静かな道だ。


▲牛用のバウムクーヘン(?)
 よく見かけるあの丸いのは、何という名前なのだろうか。

07:45 天塩河口大橋


 道北の大河・天塩川を渡る。この川を渡ると幌延町だ。悠然と流れる天塩川は、原始の北海道の姿を思わせる。太古の昔からこの風景は変わっていないと思うと(もちろん、何千年、何万年というスパンで見れば変わっているのだろうが)、何だか時空を超える旅をしているような錯覚に陥る。


▲天塩川

07:49 幌延町


 描かれているのはトナカイと利尻島。

07:52 「稚咲内(わかさかない)18km 稚内62km」


 地平線のはるか先に、風車が林立しているのがわずかに見える。
 厚い雲に覆われているが、利尻島の姿もはっきりと見える。



07:56 「利尻礼文サロベツ国立公園」の標柱


08:02


 ようやく風車群の近くまでたどり着く。

08:05 オトンルイ風力発電所


 オトンルイとは、アイヌ語で「浜のある道」とのこと。大自然が魅力のサロベツ原野ではあるが、3.1kmにわたって28基もの風車が整然と並ぶその姿は、人工物であるにもかかわらず「美しい」と形容せざるを得ないほどの存在感を放っていた。2000年10月設立の幌延風力発電株式会社(幌延町が51%、JFEエンジニアリングと伊藤忠商事、幌延の地元企業が49%を出資)によって2001年4月に着工、2003年2月に本格稼動を開始したこの風力発電所は、1基当たり750キロワットの発電能力を持ち、全28基の合計出力は最大で2万1000キロワットにもなるという。

           ◆

 とはいえ、なぜ幌延の地にこのような巨大な風力発電所が建設されたのか。もちろん、この地が風力発電の適地だったからこそ建設されたことは論を待たない。日本では北海道西部と、青森県から秋田県にかけての地域が、年間を通じて安定して発電を行うための風に恵まれているという。それゆえ、苫前をはじめ留萌管内の各地で風力発電所を見ることができたのだ。
 だが、こと幌延に関して言えば、もう一つ重大な問題が背後に存在する。それが、幌延町に「高レベル放射性廃棄物貯蔵施設」を誘致する計画――いわゆる「幌延問題」である。

 東日本大震災に伴う福島第一原発事故が発生する以前、原子力発電は「地球温暖化の原因となる二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギー」「発電コストが安く電気の安定供給が可能」などと喧伝されてきた。しかし当初から、原子力発電は致命的とも言える問題を内包しており、しかしその問題に目を向けさせないような宣伝工作がなされてきたと言ってよい。
 その問題とは、原子炉の運転過程で不可避的に発生する高レベル放射性廃棄物(いわゆる「核のゴミ」)の処理のことである。
 知られているように、この高レベル放射性廃棄物は極めて毒性が高く、それは人が近づくと十数秒で致死量に至るという非常に危険な代物である。加えて放射線半減期が非常に長く、放射線量が問題のないレベルに達するまで数万年~数百万年という途方もない年月を要するとされている。従って高レベル放射性廃棄物は生物の生活圏から遠く離れた場所に半永久的に隔離して処分しなければならず、その処分方法については、日本においては、地下数百メートルの深地層に埋設する(「地層処分」)ものとされている。
 しかしながら、未だに最終的な処分地をどこにするか決まっていないし、それが決まる見込みも全くない。埋設処分の技術的な方法すら未だに研究途上にあるという有様である。そもそも日本のような地殻変動の激しい地域においては、何十万年間も安定して生物圏から隔離できるような場所など全く存在しないといってよい。それにもかかわらず、温室効果ガスを排出しないだとか、発電コストが安いといった点ばかりを殊更に強調し、肝心の問題を先送りしたまま原発推進に邁進してきたところに、日本の原発政策の罪深さがある。
 福島第一原発の事故は図らずも、高レベル放射性廃棄物の処分という原発最大の問題を白日の下に晒したと言える。そうでなくとも、事故によって「原発はクリーンなエネルギー」「電力の安定供給が可能」という言い分自体が吹っ飛んでしまったし、原発推進派が安い安いと言ってきた発電コストについても、原発の立地自治体に対し交付される各種交付金や核燃料サイクル、放射性廃棄物の処理、廃炉などに要するコストまで含めて計算すればむしろ割高だとさえ言われている。
 そこから導かれる結論は、もはや原発からの撤退しかあるまい。

 ところが今、政府はまるで原発事故などなかったように原発輸出に邁進し、国内でもせっせと再稼動に向けた動きを進めようとしている。
 経済のため、と賛成派は言う。しかし、原発のリスク(いや、デンジャー【danger】と言ったほうが正しいかもしれない)や高レベル放射性廃棄物の問題は、はっきり言って経済以前の問題である。にもかかわらずなぜ政府は、黒を白と言いくるめるような強引な手法を使ってまで、反対する首長は蹴落としてまで、なおも原発を推進しようとするのか?

 同じようなことは、TPP問題についても言える。
 震災前の2010年に菅直人首相(当時)が突如として「TPP参加」をぶち上げた際、大手マスコミは右から左まで、一様に賛成の論陣を張った。私にはこれが、極めて不自然に映った。TPPというのは要するにドラスティックな新自由主義的経済取引の枠組みで、単に関税を撤廃するというレベルにとどまらず、法制度や言語にまで至る「非関税障壁」全てを撤廃しようというもので、本来ならば国論を二分するような大議論になってもおかしくない。にもかかわらず大手マスコミが揃いも揃って賛成一色、というのは、どう考えても異常だ。
 裏に何かある、と私は直感した。
 だがその後も、政府とマスコミはグルになってTPPに参加すればさもバラ色の未来が待っているかのように喧伝し、デメリットは農業問題にとどまるかのように矮小化し続けた。その挙句が、「だまし討ち」のようなTPP承認案の衆院特別委員会での強行採決(2016年11月4日)。

 民主主義とは何だろうか?
 一体政府は、誰の方を向いて政治をしているのだろうか?

 原発にしろTPPにしろ、もしも本当に国民の利益のことを考えているのなら、情報を隠蔽したりマスメディアを使って世論を誘導したりといったことをせず、全ての情報をオープンにして国民に判断を委ねるべきだ。重要な情報を隠したり世論を誘導したり、といった手法を使っているのは、真実を知られたらとても賛成してもらえないということを裏から示しているというべきである。ではなぜ政府は、そこまでして必死で原発やTPPを推進しようとしているのか?

 「海の向こうのご主人様」に、そんなにホメてもらいたいのか?

 前置きが長くなりすぎた。
 「幌延問題」は1979年、当時の町長が原子力発電所の誘致に乗り出したことに端を発する。当時の幌延町は炭鉱の閉山や国鉄の合理化、基幹産業である酪農の不振を背景に過疎化が急速に進んでおり、町の財政も悪化の一途を辿っていた。そこで、過疎対策・地域振興の一環として原子力発電所の誘致が持ち上がったわけである。しかしながら、沿岸の浜里地区は地盤が軟弱で立地は不適とされ、計画は頓挫した。その後、「低レベル」放射性廃棄物施設の誘致計画もあったようだが、周辺の自治体の反対等もあり、こちらも頓挫するに至った。
 ところが1984年4月になると、今度は「高レベル」放射性廃棄物貯蔵施設の計画が突如として浮上した。これに対して地元・周辺自治体の住民のみならず道内全域で反対運動が巻き起こり、以来、「幌延問題」は地元のみならず、北海道全体の問題として長きにわたり議論を呼ぶことになったのである。
 その後、2000年10月に至り、北海道は「放射性廃棄物は持ち込まない」「試験終了後は埋め戻す」ことを条件として深地層試験場の受け入れを表明。翌年(2001年)4月に幌延深地層研究センターが開設されたことにより、「幌延問題」は一応の終止符を打ったとされている。ただ、今もなお「なし崩し的に最終処分場にされるのではないか」との疑念は拭い去ることができない。2014年には町内各世帯に対し、1世帯あたり8100円が原子力立地給付金から交付されている(2015年も継続)。町の広報には交付理由について「電気料金の値上げや消費税増税等に対する生活支援の観点から」と記されているが、「なぜこの時期に現金が配られるのか」と訝る声が広がっているようである。

【参考】
2014年10月広報 
2015年11月広報

          ◇

 幌延における風力をはじめとした自然エネルギーの利活用に関する研究・実践は、「幌延問題」に端を発するエネルギー問題への関心の高まりが背景にある。現在、幌延町では風力発電のほか、太陽光発電、バイオマスエネルギーの活用、雪氷エネルギーの活用が行われているようである(幌延町ホームページ参照。 ただし、「深地層研究」の項目で未だに「資源の乏しい日本では、エネルギーの安定供給を維持するために、原子力が欠かせません。」と記され、原子力発電のメリットを強調しているのは気になるが)。
 幌延風力発電株式会社が設立されたのは、2000年10月。北海道が深地層研究センターの受け入れを表明したのと同時期である。私が探した限り、深地層研究センターの受け入れと風力発電施設の建設との関係について直接的に記した文献は見当たらなかったが、風力発電施設の建設は事実上、深地層研究センター受け入れの「見返り」だったと考えて間違いあるまい。

 オトンルイ風力発電所について記したサイトは沢山ある。「幌延問題」について記したサイトも沢山ある。
 しかし、オトンルイ風力発電所に「美しい」「壮観だ」という感想は持っても、そこから幌延問題に思いを馳せる人は少ない。
 背景には、幌延問題に対する北海道外での認知度の低さ、関心の低さがあるのだろう。

 自転車旅行記にもかかわらず長々と政治的なことを書いてしまいましたが、本記事をきっかけに一人でも多くの方が「幌延問題」に関心を向けてもらえたら、管理人として嬉しく思います。


【参考文献】
Wikipedia(幌延町幌延深地層研究センター

「幌延問題」での高木さん
水面下でうごめく「幌延問題」 - 北海道地方自治研究所
幌延町が“原発マネー”を町民に支給
 
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