【北海道自転車旅行】5日目 稚内⇒浜頓別 その2(宗谷岬⇒猿払(鬼志別))

(2) 宗谷岬⇒猿払(鬼志別)

10:46 「浜頓別61km 枝幸90km 網走295km」

 
10:59 宗谷岬郵便局


 言うまでもなく、日本最北の郵便局である。

11:06 大岬小学校


 日本最北の学校。本当に「日本最北」だらけである。
 大岬小学校の辺りで集落は尽き、一挙に大海原と草原が広がる。

11:14 オホーツク海に沿って


11:21 「浜頓別55km 枝幸84km 網走289km」


 アップダウンがきつくなってくる。

11:30 


 交通量は少ない。よく晴れているが、カラッとした心地よい暑さだ。

11:45 


 いつの間にか森の中へ。上り坂がきつい。そして野生生物登場の不安に駆られたのは、実は今回の旅で初めてだった。
 まさか、ヒグマとか出没しないよね……。

11:56 


 坂道のピークを越える。道の先にオホーツク海が見える。下り坂を一挙に下っていけば、東浦の集落だ。

11:59 東浦


 国道沿いに漁家が連なる。

12:11 猿払村


 実は納税者一人当たりの平均所得が全国でもトップ10に入るという猿払村。村の命運をかけたホタテ漁が軌道に乗ったことが要因なのだとか。村全体の人口減少は続いているが、それでも下げ幅は、道内の他の過疎地に比べるとはるかに小さい。正直、驚きであった。

参考:Wikipedia -猿払村
    北海道の最果てにある、セレブな村がなにかと凄い - NAVER まとめ 

12:21 知来別



▲知来別郵便局にて

12:53 浜鬼志別


 ようやく猿払村の中心部の近くまで来た。猿払村役場は、ここから4kmほど内陸に入った鬼志別地区にある。
 少し悩んだが、時間にはまだ余裕があることだし、私は少し寄り道をして鬼志別郵便局まで足を延ばすことにした。
 鬼志別郵便局が、憲法の重要判例の一つ「猿払事件」の舞台になった郵便局だからだ。

          ◇

 猿払事件とは、1967(昭和42)年、鬼志別郵便局勤務の郵政事務官が日本社会党公認候補の選挙用ポスターを勤務時間外に公営掲示場に掲示した行為が国家公務員法102条及び人事院規則14-7 6項13号に違反するとされた刑事事件で、公務員の政治的行為を広範に規制する前記法令が憲法21条(表現の自由)に違反するのではないかが最大の争点となった。(他にも、国家公務員法の人事院規則への委任の仕方が罪刑法定主義に反するのではないかという点も争いになったが、ここでは割愛する)

日本国憲法
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

国家公務員法
(政治的行為の制限)
102条 職員は、政党又は政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法を以てするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。

人事院規則14-7(政治的行為)
6 法第百二条第一項の規定する政治的行為とは、次に掲げるものをいう。
十三  政治的目的を有する署名又は無署名の文書、図画、音盤又は形象を発行し、回覧に供し、掲示し若しくは配布し又は多数の人に対して朗読し若しくは聴取させ、あるいはこれらの用に供するために著作し又は編集すること。


 一審は、「非管理職である現業公務員で、その職務内容が機械的労務の提供に止まる者が、勤務時間外に、国の施設を利用することなく、かつ職務を利用し、若しくはその公正を害する意図なしに行った人事院規則14-7 6項13号の行為で且つ労働組合活動の一環として行われたと認められる所為に刑事罰を加えることをその適用の範囲内に予定している国家公務員法110条1項19号は、このような行為に適用される限度において、行為に対する制裁としては、合理的にして必要最小限度の域を超えたものと断ぜざるを得ない」と述べ、国家公務員法及び人事院規則は憲法21条に違反するとして被告人に無罪を言い渡した。
 言い回しが分かりづらいが、要は、「管理職でない一般の公務員が、勤務時間外に職務と無関係に行ったポスター掲示行為は、形式的には国家公務員法に違反するが、このような行為まで広範に禁ずる法の規定は、憲法21条に定める表現の自由に対する必要最小限度の制約を逸脱するものであり、違憲である」というものである。
 憲法は様々な人権を保障しているが、その人権をあらゆる場合に無制限に保障してしまうと他者の人権と衝突してしまう場合が出てくる。そこで、憲法は他者の人権との衝突回避のため(難しく言うと、公共の福祉の観点から)、必要最小限度の制約をすることを認めていると解されている。そして、どの程度まで人権の制約が認められるかは人権の内容によって異なり、内心にとどまる限り絶対に制約は許されず、思想・信条にかかわる表現行為を伴う場合には必要最小限度の制約のみ許容され(これを「内在的制約に服する」などと言ったりする)、反対に経済的行為の場合には社会政策的観点からの比較的広範な制約が認められる――とするのが通説的な見解である。そして一審は、本件国家公務員法の規定は「表現の自由」に対する必要最小限度の制約を逸脱しているから違憲である、と判断したわけである。

 想像してみてほしい。そもそも国家公務員法が公務員の政治的活動を禁じるのは、公務員の政治的中立性を担保する趣旨である。では、公務員とはいえ一般の郵便局員が、プライベートの時間に自分が支持している政党のポスターを貼ったとして、その行為は「公務員の政治的中立性を害する」と言えるだろうか?

 二審も一審を支持したため、検察側が最高裁に上告した。これに対して最高裁(昭和49(1974)年11月6日)は、以下のように述べて原判決を破棄(自判。自判とは、下級審で事実認定をやり直す必要がないため法律審たる最高裁が自ら法の適用判断をする、という意味)し、被告人に対して罰金5000円の有罪判決を言い渡した。

「公務員の政治的中立性を損うおそれのある公務員の政治的行為を禁止することは、それが合理的で必要やむをえない限度にとどまるものである限り、憲法の許容するところであるといわなければならない。」
「行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するため、公務員の政治的中立性を損うおそれのある政治的行為を禁止することは、まさしく憲法の要請に応え、公務員を含む国民全体の共同利益を擁護するための措置にほかならないのであって、その目的は正当なものというべきである。また、右のような弊害の発生を防止するため、公務員の政治的中立性を損うおそれがあると認められる政治的行為を禁止することは、禁止目的との間に合理的な関連性があるものと認められるのであって、たとえその禁止が、公務員の職種・職務権限、勤務時間の内外、国の施設の利用の有無等を区別することなく、あるいは行政の中立的運営を直接、具体的に損う行為のみに限定されていないとしても、右の合理的な関連性が失われるものではない。……(中略)……したがって、国家公務員法102条1項及び規則5項3号、6項13号は、合理的で必要やむをえない限度を超えるものとは認められず、憲法21条に違反するものということはできない。」

 この判決は、要するに、公務員の政治的行為を広範に禁ずる法令の規定は「表現の自由」に対する必要やむをえない限度の制約として許容される、と判断したものである。
 ただしこの判例は、精神的自由権に属する表現の自由に対する規制を緩やかな基準で合憲判断したとして、学説からは根強い批判がある。一審(および二審)は「合理的にして必要最小限度の域」を超えたものは違憲(=原則違憲)だとしたのに対し、最高裁は「合理的で必要やむをえない限度」に留まれば合憲(=原則合憲)だと判断したからである。最高裁の基準は、経済的自由権に対する制約と同様の違憲審査基準であり、より強固な保障を必要とする精神的自由権についての審査基準として適切ではない、とするのが一般的な学説とされている。

          ◇

 浜鬼志別の集落を抜けると、辺りは一面の牧草地になった。緩やかなアップダウンを繰り返しながら、道道138号線を鬼志別市街へと向けて進んでいく。4km程度だから、大した距離ではない。15分ほど走ると、やがて前方に鬼志別市街が見えてくる。村役場も置かれている、猿払村の中心地域だ。かつては天北(てんぽく)線の鬼志別駅も設置されていたが、1989年に廃止されている。


▲一面の牧草地


▲鬼志別市街

13:25 鬼志別郵便局


 いくら「猿払事件」の舞台となった地とはいえ、この場所に何か事件の記念碑的なものが残っているはずもない。被告人は確かに鬼志別郵便局に勤務していたとはいえ、この郵便局自体が事件の舞台というわけでもない。憲法を勉強したからといって、わざわざ実際にこの地まで足を運ぶ人はほぼ皆無だろう。事件が起こったのは1967年、おそらく局舎も建て替えられていると思われる。全国どこでも見られるような、小奇麗な郵便局だ。

 だが半世紀前、ここ猿払村を舞台として、件の事件が発生した。

 それにしても……と思うのは、この事件がなぜ、最高裁まで争われるような事件に発展したのか、という点である。被告人の行為は選挙のポスターを公設の掲示板に貼ったというもので、言い方は悪いが、「たかがその程度」と言ってしまってもおかしくない程度のものである。もっと言ってしまうと、仮に被告人の貼ったポスターが社会党のものではなく自民党のものだったとしたら、こんな騒ぎにはならなかったのではないか。仮にケシカラヌと思う人が刑事告発したとしても、不起訴処分にされて終わりだったのではないか。
 おそらく事件の背後には、労使対立がある。実際、猿払事件で有罪とされた被告人は、地区の労働組合協議会で事務局長をしていたようである。被告人は最初から目を付けられていて、ポスター事件を利用して追い込まれたのではないか。そして、政府・与党(自民党)とグルになった検察によって、刑事事件化されたのではないか。そんな想像が頭の中を駆け巡る。
 根拠はない。私の空想である。

 そして私としては、「労使対立」という言葉に、ある種のノスタルジックな感慨を覚えざるを得ない。色々問題はあったにせよ、当時の労働者たちは団結して、使用者に対して権利を主張してたのだ。
 それが今はどうだろう。55年体制が崩壊して労働組合はすっかり弱体化し、新自由主義が跋扈する中で、労働者の置かれた立場は目に見えて弱いものになってしまっている。労働者相互の横の関係は分断され、他の労働者は団結すべき「仲間」ではなく、蹴落とすべき「敵」になってしまった。そんな状況でうっかり労働者の権利主張的なものをすれば、経営者に嫌われてあっという間に左遷か、イジメで退職に追い込まれるのが関の山である。あくまで経営者に対抗しようとすれば一般労組などに頼らざるを得ないが、そこまでするエネルギーの残っている人は少ないだろう。かくして経営者側はますます力を強め、ブラック企業がますます跋扈する。労働者は低賃金と長時間労働、パワハラにあえぎながら抗う術を持たず、経営者は労働力の搾取によって利益を得る。もしかしたらその経営者自身も、取引先からの値下げ要求に苦しんでいるのかもしれない(だからと言って、同情も協力もしないが)。こうして、本来末端の労働者に分配されるべきお金は、より力の強い者のところにどんどん吸い上げられていく。
 その先に待っているのは、少数の特権階級が世界の富の大半を支配する、実に荒涼とした世界だ。彼ら特権階級は、数は少なくても絶大な政治的影響力を持っている。政治は庶民ではなく彼らの方を向き、マスコミ工作等を通じて民主主義を無力化し、特権階級にとって有利な政策(例えばTPPだ)をひっそりと進めていく――。
 たぶんこれが、私が今日の政治に対して抱いている違和感の「正体」である。
 
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