【北海道自転車旅行】7日目 紋別⇒浜小清水 その2(佐呂間⇒浜小清水)

(2) 佐呂間⇒浜小清水

10:31 道の駅サロマ湖


 雨に降られながら雨合羽を着るのも面倒なので、ここまでは頑張って濡れながら走る。そして駆け込んだ道の駅で、とうとう雨合羽を着用する。
 
 出発すると間もなく、雨はさらに強さを増し、あっという間にザーザー降りになってしまう。こうなるともう、景色を楽しむとか写真を撮るどころではなくなる。ひたすら自転車をこぎ続けるだけの、単調な「作業」だ。地図も簡単には出せないので、今どこを走っているのかも分からない。時折現れる地名表示や距離表示を頼りに、無心に進む。

 サロマ湖の西端に近い浜佐呂間を過ぎると、程なくして北見市常呂町に入る。常呂市街を抜け、増水した常呂川を渡る。この常呂川の上流部・福山地区では、約13時間後の8月21日午前0時40分頃に堤防が決壊した。一連の台風災害の幕開けだった。

 常呂町を抜ければ、網走市だ。雨が少し小降りになってきた。

12:09 「網走市街27km」


 ようやく雨が少し小降りになってきたので、久々に写真を撮る。

12:16 能取湖


 この付近から能取湖畔を走る。

12:40 「網走18km 斜里60km」


12:54 卯原内(うばらない)地区


12:58 卯原内交通公園


 湧網線の旧卯原内駅があった場所で、ここにも蒸気機関車(9600形蒸気機関車49643号機)と客車(オハ47 508)が静態保存されている。かつては客車を宿泊に利用できたようだが、現在は実施していない模様である。


▲網走市鉄道記念館

 常呂から網走市街にかけては、湧網線の跡地を転用したサイクリングロードが延びており、国道からもその姿を見ることが出来る。天気がよければ、在りし日の湧網線を偲びながらサイクリングロードを走るのも楽しかろうが、この雨ではどうしようもない。駅跡ももっとじっくり見ておきたかったが、足早に通り過ぎてしまう。

13:02 卯原内市街


「網走13km 斜里55km」の表示が立つ。一旦は小降りになっていた雨だが、卯原内を過ぎた辺りから、再び雨脚が強まってくる。

 網走市街に向けて、人気のほとんどない道をひた走る。単調な道が続く。野生の鹿にも遭遇する。心細さが極まる。それだけに、ようやく網走市街に入ったときはホッとした。

13:52 網走駅


 雨は相変わらずのザーザー降りで至るところに大きな水たまりができ、車が水しぶきを容赦なく巻き上げながら通り過ぎていく。とても外で記念撮影をする気にはなれず、屋根のある場所まで自転車を運び込んでようやく一息つく。
 今日の宿泊地である小清水町の浜小清水までは、ここから20kmほどである。少しだけ休んで、すぐに出発することにした。こんな天気である以上、一刻も早く宿に着いて体を休めたほうがいい。それに、途中で買い物もしておきたい。

14:04 網走市街


 ちょっとだけ雨が小降りになった隙に撮影。

 網走市街の後背部には、「天都(てんと)山」と呼ばれる標高207メートルの山がある。かつて網走と紋別・興部方面を結んだ急行「天都」の列車名の由来になった山である。本当は網走に着いたら天都山をバックに記念撮影をしたかったが、この雨ではどうしようもない。はるかかなたで夢を見るどころか、雨のせいで目の前の視界すら良くない。しかも寒い。こうなったら天都の湯でぜひとも温めてほしいところだが、そういうわけにもいかない。

 いや、市街地で「天都の湯 ドーミーイン網走」と書かれた看板を見つけ、思わず生徒会長が人肌で温めてくれるお風呂を想像してしまっただけです……。

          ◇

 網走市街を抜けると、釧網本線と併走しながらオホーツク海沿いを走る。久々に見る、生きている鉄道だ。国鉄の全盛期には稚内から網走まで、北見枝幸~雄武間をバスで連絡する以外は鉄道で旅をすることができたはずだが、今や全て廃止されてしまっている。輸送密度や営業係数を考えればやむをえなかったのだろうが、おかげで北海道の鉄道旅行は、経路選択の余地が相当に限られてしまうようになった。今や稚内に鉄道で行こうとすれば、宗谷本線を単純に往復するほかない。鉄道代替バスを利用すれば多少選択の余地は広がるだろうが、その代わり、大出費を覚悟しなければならない。結局、鉄道がなくなった地域からは足が遠のかざるを得ない。
 これは、「鉄道の存廃を、その収益性のみで判断してよいのか」という問題に連なる。鉄道単体では赤字でも、鉄道があることで観光客がやってくれば、結果的に地域経済にとってプラスになることも考えられるからである。また同時に、外部からやってくる観光客が地域の鉄道を支えるという関係も成立する。
 そういった関係を如実に示しているのが、東日本大震災で甚大な被害を受けながらも復旧を果たした三陸鉄道の事例である。三陸鉄道はそれ自体が観光資源となり、地域に観光客を呼び込むことに成功した。半面、気仙沼線や大船渡線のBRTが観光客を引き寄せているか? と問われれば、答えはおそらく「否」である。
 しかし一方、いくら鉄道の存在が地域経済にメリットをもたらすからと言っても、では地元だけで鉄道を支えられるか? と問われたら、これもまた「否」と言わざるを得ない。鉄道の維持には膨大なコストがかかる一方で、地方公共団体、とりわけ市町村の財政基盤は脆弱だからである。地元や鉄道事業者の自助努力を前提としても、どうしても国や都道府県などの公的な支援が欠かせない。
 今年(2016年)11月18日、JR北海道は「維持困難な線区」を正式発表した。JRとしては、輸送密度200人未満の線区については廃止、200人以上2000人未満の線区については自治体が鉄道施設(下)を保有してJRは運行(上)に専念する「上下分離」を軸に地元自治体と協議をする方針だという。宗谷本線(名寄以北)や石北本線、釧網本線、花咲線(釧路~根室)といった道東・道北方面の路線のほとんどが協議の対象とされている。
 では地元は、これらの路線を支えきれるのか?
 国鉄再建の過程で北海道内の鉄道路線の多くが廃止され、JR転換後も上砂川線、深名線、江差線といった地域輸送主体の路線が廃止されてきた。結果、北海道の鉄道はもはや限界レベルまで縮小していると言え、これ以上の廃止は国土の基軸の維持という観点からも望ましくない。加えて、道東・道北方面の路線は「国防」の観点からも維持が必要だという見方も存在する。
 そうした重要な路線を、過疎化の進んでいる地元だけで支えるのは困難であるし、また望ましくもない。どうしても道や、国の関与が必要だと言わざるを得ない。
 私はJR北海道の窮状を受けて、今後国がどのように動くかに注目している。それは国が、本当に地域や国民生活を守る意思があるのかを占う試金石であるように私には思われる。

参考:JR北海道が「維持困難な線区」を正式発表。北海道のローカル線を第三セクターで支えきれるか (「タビリス」 2016年11月19日付の記事)

          ◇

 釧網本線の線路に並行してオホーツク海沿いを走っていくと、やがて北浜という駅にたどり着く。オホーツク海に最も近い駅として知られ、事実、ホームからはオホーツク海を見渡すことも出来る。駅は無人ながら、古い木造の駅舎内では喫茶店「停車場」が営業している。
 だが、ここも一瞥しただけで通り過ぎる。向かったのは、北浜駅から程近い場所にある「セイコーマート北浜店」である。浜小清水周辺では食糧を入手できない可能性が高いため、ここで今晩と明朝の食糧を確保しておく必要がある。
 セイコーマートの軒下に自転車を停め、ようやく雨合羽を脱ぐ。隙間から間断なく吹き込んできた雨のおかげで、もう全身ずぶ濡れである。

 買い物がてら30分ほど休憩し、浜小清水に向かう。
 程なくして、小清水町に入る。大型トラックに水しぶきを浴びせられながら、小清水原生花園のただ中を無心に走る。
 浜小清水駅に到着したのは、16時過ぎだった。今日はこの地で宿泊する。何もない場所だが、明日は釧路まで走ることを考えると、この場所に宿を取らざるを得ない。紋別から釧路までの距離を2で割った中間地点が、ここ浜小清水なのである。そして浜小清水には、「小清水はなことりの宿ユースホステル」がある。

 正直、ユースホステルに泊まることに躊躇を覚えた。他人との相部屋は苦手である。だが結局、立地と値段の魅力に押し切られる格好となった。どうせ一晩泊まるだけなのである。それに、観光シーズンのピークは過ぎており、うまくいけば事実上一人で一部屋を使えるのではないか……という読みもあった。

 その読みは外れた。

 宿に入ると、とにかくさっさとシャワーだけ浴び、着替えてしまう。濡れた服を乾かしたいが、ビジネスホテルのように自分で洗濯をして部屋中に衣服を吊るすわけにも行かない。限られた自分のスペースで、どうにか工夫するほかない。
 そして夕食を取ろうにも、これまた酷く気を遣った。ここで食事をしていいのか、音や匂いが迷惑でないか……もしかしたら何でもないようなことなのかもしれないが、私には気になって仕方がなかった。そして、喋るのが苦手な上に一人で過ごすことが好きな私にとって、半ば強制されたコミュニケーションも、やはりしんどかった。もともと私は人見知りの激しい性格だったが、ここまで過剰に周りを気にするのは対人恐怖症らしい。
 やっぱり、無理してでもあと10キロほど走って、小清水市街に宿を取るべきだったのかもしれない。

 他人とのコミュニケーションが苦手、大勢といるよりも一人で過ごしたい……私のように思っている人も、決して少なくはないはずだ。だが、そのような人は往々にして非難され、性格を変えろ、改善しろ、自分の殻に閉じこもるな、コミュ障を克服しろ――といった声に晒される。家庭でも学校でも職場でも、どこへ行っても「変えろ、改善しろ、克服しろ」の大合唱である。そして、その長所に目を向けようとする人は非常に少ない。私のような人間にとっては、まことに生きづらい世の中である。
 だが私は、そんな性格だからこそ、自転車で旅ができると思っている。
 自転車旅行は、ひたすらに孤独である。孤独に耐えられる人でない限り、自転車乗りにはなれない。そして、周囲に惑わされることなく己の道をストイックに突き進める性格というのは、見方によっては大いなる長所なのではないだろうか。「変人」と呼ばれるような人が時として大発明をしたり、著名な研究成果を上げることが出来るのは、その現れではないかと私は思う。
 もちろん自転車好きとは言っても様々な人がいるから、「自転車乗り」=「孤独が好き」と安易に決め付けることは厳に慎まなければならない。それは単なるレッテル貼りである。だがそれでも私は、猫も杓子もコミュニケーション能力、コミュニケーション能力と連呼し、コミュニケーション能力に劣った人間を矯正ないし排除しようとする風潮に対して、異議を述べ続けないわけにはいかないのである。
 「三つ子の魂百まで」という言葉が示すように、人の性格というのは簡単には変えられない。無理に己を偽ったところで、ストレスを抱えて体を壊すだけである。苦手を克服しようとすることを無意味だとまで言うつもりはないが、それよりも己の姿をしっかりと受け止め、短所がなるべく顕在化しないように気をつけつつ、長所をより伸ばし、自分らしい生き方をしていくことが望ましいのではないか。それは金持ちになったり偉くなったりといった「社会的成功」を収めるよりも、はるかに有意義な人生なように私には思われる。
 もっとも、じゃあ具体的にどうすれば良いのか? と問われると、皆目見当がつかない。だからこそ私は未だに、これからの生き方について迷走を続けているのではあるが……。
 
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