【東北自転車旅行】8日目 三沢⇒宮古 その3

(3) 普代⇒宮古

15:57 田野畑村


 ここは岩手県だが、分け入っても分け入ってもなお青い森である。
「浄土ヶ浜61km」の看板が立つ。宮古まであと4時間で・・・・・・着けたとしても到着は20時、もはや完全に夜である。
 心配しても仕方ない。とにかく行けるところまで行こう。

 
16:31 まだまだ山の中


 「岩泉39km 宮古51km 仙台312km」の表示。その隣には「浄土ヶ浜55km」の看板も。
 ・・・30分以上かけて、進んだのは6kmか・・・・・・。

 そして、この距離表示のすぐ先には・・・・・・。



「この先 急勾配 急カーブ」
 そして、10%の上り勾配を示す標識が!!

 「ツーリングマップル」にも激坂マークが付いていたので覚悟はしていたが、それにしても10%の上り勾配といえば、水平方向に100m進むごとに10m上るというとんでもない勾配である。
 だが、これを乗り越えなければ宮古にはたどり着けない。覚悟を決めて、上り坂を突き進む!!
 突き進む!
 突き進む・・・・・・、
 ・・・・・・。
 ・・・。

 想像以上に、過酷な坂だった。
 ほとんど数十メートルごとに、進んでは止まり、止まっては進む・・・を繰り返す。が、またすぐに止まってしまう。止まるたびに足を少し休め、そして「ファイヤアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァッッッッッッッッッ!!!!!!」と気合いを入れてペダルを踏みしめ、前に進もうとする・・・・・・が、またすぐに止まってしまう。その繰り返し。ふと後ろを振り返れば、今まで走ってきた道が、とんでもない谷底にある。よくこんなところまで登ってきたな・・・・・・とは思うが、上り坂はまだまだ延々と続き、全く終わる気配がない。そんな私の横を、車が悠然と(?)通り過ぎていく。そんな車の運転手にとって、この激坂をママチャリで上っている私は、一体どう見えたのだろうか。
 それでも、ある程度の場所までは、気合いでペダルをこいで上ってきた・・・・・・が、ある地点で私はとうとう諦め、自転車を押して歩いて坂道を登ることにした。自転車から降りてしまえば断然楽で、正直、歩いたほうが早いんじゃないかと思えるほどだ。
 だが自転車を降りた時点で、私は既に、激坂の終点近くまで来ていたようだった。

16:58 閉伊坂峠


 激坂を上り終えると、勾配が緩やかになる。そしてついに、「閉伊坂峠」を示す看板が現れた。標高380mで、国道45号線の最高地点だという。
 良かった・・・これで後は、もう下り坂だけだ・・・・・・。
 そしてここを境にして、道は一気に下り坂になる。そこから田野畑村の中心集落までは、本当にあっという間だった。

17:07 田野畑村の中心集落


 「集落」と呼ぶのがふさわしいほど、本当にわずかしか人家がない。でも普代を出て以来久々に、町らしい町に来た。

17:15 思惟大橋(しいのおおはし)


 「近くにある『思惟の森』にちなみ、暮らしを、生き方を、未来を考え、思考し、意志と知力で人間を鍛え、明日を切り開いていく村民の願いと気持ちをこめて命名された」、高さ120メートル、延長315メートルの橋。
(参考文献:田野畑村ホームページ田野畑の道と橋思案坂と槙木沢橋・思案坂大橋、辞職坂と思惟大橋


橋の下、細い道


橋の上から見た山々

 橋の欄干から下を覗けば、とんでもない谷底に、細い一本の道が通っている。目もくらむような高さだ。こんな場所に、よくぞ道を通したものだと思う。

 そして、さあ小本に向けて坂を下ろう! と意気込む・・・が、予想に反して、ここからしばらくは上り坂と下り坂が連続する区間に入る。閉伊坂峠を越えればもう下るだけだと思っていた私にとって、これは意外だった。

17:25 「三陸北道路」田野畑南インター


 国道45号線の道路改良が「自動車専用道路」の建設という形で行われており、自転車で進入できないのが残念。ただ、無料で開放されている上に国道45号線のバイパスという扱いなのに「自動車専用」というのは、何となく釈然としないものを感じる。
 車がバイパスに流れてくれたおかげで、ここ以降、交通量は多少は少なくなったような気がする。

17:30 「宮古38km 釜石91km 仙台299km」


 着実に宮古までの距離が縮まってくる。
 とはいえ、あとまだ38kmもあるのか・・・・・・。

17:32 岩泉町


 三陸海岸に沿った道を走っているのに岩泉町に入るのは奇異な感じがするが、沿岸部の小本地区も岩泉町の管内なのだ。
 ここまで来れば小本は近い! と思っているのに、道は相変わらずアップダウンの連続である。そして走ること十数分、ついに恐怖の坂にたどり着いた・・・・・・。

17:47 「中野坂」


 ついにモンダイの激坂、通称「中野坂」までたどり着いた。
 Wikipediaの「国道45号線」の記事(Link)にも概要が記されているが、ここは急カーブ、急勾配が2kmにわたり続く場所なのだ。黄色い警告看板に示された線形を見ても、とんでもないカーブの連続である。おまけに、10%の勾配。
 だが、こちらは坂を下ろうとしているのであり、そこまで怖気づくこともあるまい。それに、この坂を下りきれば、小本市街にたどり着く。私は軽い気持ちで、坂を下り始めた。
 瞬く間に、スピードが上がり始めた。

 はるか前方に見えていたカーブが、あっという間に目の前に迫ってくる。危ない、ブレーキ。何とかクリア。またスピードが上がる。スピード出しすぎの警告音が響く。ブレーキをかける。が、うまくスピードが落ちない。カーブが迫る。迫る。さらに急ブレーキ。スピードが落ちる。が、カーブは目の前。くっ、曲がりきれ、曲がりきれ――間に合わない!?
 そして、次の瞬間。
 私は自転車ごと、ガードレールに叩きつけられていた。

 衝突した瞬間のことを、私は案外、はっきりと覚えていた。
 ガードレールにぶつかったこと。自転車から投げ出されたこと。そのまま道路を数メートル滑走したこと。頭部だけは守ったこと。
 ふと我に返る。私も自転車も、道路に横倒しになっていた。身体の右半分が痛い。でも意識はある。辺りを見渡す。人も車も、全く来ていない。
 のろのろと立ち上がる。右足がヒリヒリする。あちこち打ったようだ。ズボンにも穴が開いている。でも長ズボンのおかげで、かすり傷で済んだ。
 横転した自転車を立たせる。こんなところで立ち止まっていても仕方ないから、とにかく麓まで降りよう。自転車にまたがり、ペダルを踏む。チェーンから、カラカラカラ、と嫌な音。まさか、チェーンが切れるか外れるかしたか! しかも衝突の衝撃で車軸が歪んだか、微妙にバランスが悪い。何となく違和感を覚える。でも、一応走れる。

 とりあえず、下り坂を降りてしまう。もちろん、超低速で。この怪我は私のスピードの出しすぎが原因、自業自得だ。でも同じ失敗は繰り返さない。
 ようやく下り坂が終わって小本の市街地にたどり着いたときには、思わずホッと一息ついた。坂を下っている時間はわずか数分にすぎなかったはずなのに、私には、それが異常に長い時間に感じられた。

17:54 小本大橋


 自転車を完全に止め、そして、改めてペダルを踏む。チェーンから嫌な音はするが、走ることは走る。そのまま国道45号線を進む。ギアチェンジもちゃんとできる。何となく不安は残るが、とりあえずは大丈夫みたいだ。やはり、ママチャリは頑丈だった。

18:12 宮古市に入る


 空がだんだん暗くなってくる中、ついに宮古市に入る。が、宮古の市街地までは、まだ30km近くある。明るいうちに少しでも前に進もうと、がむしゃらに走る。

18:25 摂待駅


 宮古の宿への到着が20時過ぎになることが確定したので、ここで宿に電話連絡を入れる。本当は少しでも先に進んでしまいたいが、山道の中では電波が通じるかどうか不安だった。それに、真っ暗闇の山道では、電話をかけるのに適した明かりすらない可能性もある。

 電話を終えて一息ついていると、宮古方面から列車がやって来た。この列車が小本まで行き、折り返して小本18時45分発の宮古行き列車になるのだろう。
 一瞬、ここに自転車を置いて、もう列車で宮古に向かってしまおうかとも思う。だが結局、私は意地で宿まで自転車で行ってしまうことにした。

 今日の宿は、宮古市の崎鍬ヶ崎というところにある「休暇村 陸中宮古」である。私は偶然にも、宮古駅からその場所まで自転車で走ったことがある。休暇村陸中宮古の近くに「姉ヶ崎」という名の岬があり、ちょっとしたネタのためにそこまで行ってみたのだ(「陸中宮古『姉ヶ崎』探訪ルポ」参照)。おかげで、国道45号線を「崎山」という交差点まで行ってしまえばそこから先の道は知っているし、崎山交差点周辺の様子も何となく覚えていた。夜道とは言っても、崎山交差点までは国道45号線をひた走るわけだし、まさか道に迷うようなこともあるまい。大丈夫だ、行こう。私はそう決めると、夕闇の中、自転車を宮古方面へと向けて走らせ始めた。

 だが・・・・・・。

 摂待駅前を過ぎると、国道は再び上り坂になる。地図を見ると、摂待―田老間に「つかの峠」という名の峠がある。
 だが、上り坂が全く終わらないうちに、空はどんどん暗くなってくる。それでも、峠の辺りまでは、空にはどうにか陽の光が残っていてくれた。しかし、峠を越えて田老までの下り坂を進んでいるうちに、辺りは完全に真っ暗になってしまった。
 なにしろ、人影の全くない山の中の道である。街灯のようなものはほとんど全くない。たまにやってくる車の前照灯以外に、まともな明かりらしい明かりもない。車が過ぎ去ってしまえば、辺りは本当に真っ暗闇。どこまでが道路でどこからが道路でないのか、それさえよく分からない。道路端に引かれている白い線、ただそれだけが頼りだ。その白線の上をなぞるように、慎重に、慎重に前に進む。けれど下り坂では、あっという間にスピードが上がってしまう。すぐにブレーキ。真っ暗な夜道では、スピードの出やすい下り坂の方がむしろ怖い。
 時折、正面から対向車がやってくる。こうなると大変だ。対向車のライトの明かりのせいで、一瞬、辺りが全く見えなくなる。そして車が過ぎ去ってしまえば一気に真っ暗闇で、またも周辺が一瞬、全く何も見えなくなってしまう。後ろから来た車に追い越される以上に、対向車とすれ違う瞬間のほうが怖い。

 怖い思いをしながら、山道をやっとの思いで下る。ようやく道が平坦になり、道路沿いには街灯が並ぶようになる。道路脇にはコンビニが建ち、その明かりに、例えようのない安心感を覚える。ようやく町に入ったのだ。
 でもその町に、コンビニ以外の明かりはなかった。
 この町の名は「田老」。東日本大震災津波で、町が丸ごと津波に飲み込まれてしまうほどの壊滅的被害を受けた場所だった。

 とにかく、人の気配が全くしなかった。
 行けども行けども、建物と呼べるものが全く見当たらない。辺りは真っ暗でも、周囲が一面の更地であることは気配で分かった。
 震災までこの町で暮らしていた人たちは、いったい今、どこにいるのだろう?

 時折車が行き交う以外、人っ子一人見当たらない。そんな田老の町を抜けると、道は再び上り坂になる。辺りは真っ暗。行けども行けども上り坂。きつい。つらい。やっとの思いでトンネルまでたどり着く。トンネル内には明かりが点る。昼間とは逆に、明かりがある分だけ、トンネル内のほうがかえって安全な気がした。
 トンネルを抜ければ、再び真っ暗闇の山道が続く。白線の上をなぞり、そろそろと前に進む。歩道があっても、歩道には上がらない。車道の白線の上を走っているほうが安全。時折やってくる対向車。自転車を止め、目を閉じてやり過ごす。目を開ければ、どこまでも山ばかり。地図を見ても、自分が今どの辺りにいるのか全く分からない。分かるのは、「この先に4つのトンネルが連続し、最後のトンネルを抜けて1kmほど走ると崎山交差点に着く」ということだけだ。
 そのトンネルが、一向に現れない。
 行けども行けども、山道が延々と続くだけ。
 車が行き交うたびに、身を縮めてやり過ごす。怖い。
 怖い。
 いったいどうして、こんな思いをしなければいけないのだろう?
 やっぱり摂待駅から、列車で宮古に抜けてしまえばよかった。
 でも、今更どうしようもない。
 延々と続く真っ暗な山道を、ほとんど泣きそうになりながら進む。
 だから、前方にトンネルが見えてきたときは、本当にホッとした。
 一つ目のトンネルに入る。明るい。トンネルを抜ける。暗い。少し走る。二つ目のトンネル。明るい。抜ける。またすぐ、三つ目のトンネル。そして、四つ目のトンネル。
 抜けた。崎山交差点が近い。近いはずなのに、辺りには相変わらず、人家が全く見当たらない。今までと同じような真っ暗闇の山道が、延々と続くだけ。地図上では1km程度にすぎない距離が、永遠にも思えるほどに遠い。

 そんな真っ暗闇の道の先に、「SUZUKI」の看板が見えてきた。忘れもしない。崎山交差点のところにある自動車販売店だ。
 やっとここまで来た!!!
 交差点を左折する。細い道に入る。「休暇村 陸中宮古」の方角を示す看板が立つ。その看板に従って、自転車を走らせる。ほとんど完全に森の中の道だが、一定の間隔で仄暗い街灯が点る。その街灯こそが、休暇村への道のりから外れていないことを示す唯一の証のように思われた。
 やがて道路脇に、「姉ヶ崎サン・スポーツランド」の看板が見えてきた。休暇村の近くにあった施設だ。休暇村の駐車場も現れる。
 そして、たどってきた道の先に、とうとう建物の明かりが見えてきた。
 光を見てこれほどまでに安心したことが、かつてあっただろうか。
 その光を生み出すのは、電気。
 望むと望まざるとにかかわらず、人は日々、電気の恩恵を受けて暮らしている。
 震災後の計画停電のときでさえ、こんなふうに感じたことはなかった。
 それほどまでに、私は疲弊しきっていた。
 でも、永遠にも思えた夜の山道の行軍も、これで終わりだ。

 20時15分。
 1時間半にも及ぶ「死の行軍」を終え、ついに今日の宿「休暇村陸中宮古」に到着した。
 ドアの鍵を開けて客室に入ると、ようやく、張り詰めていた緊張感が解けた。


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