【東北自転車旅行】9日目 宮古⇒気仙沼 その4

(4) 大船渡⇒気仙沼

17:03 大船渡


 海に近づくと、津波にさらわれ更地となった市街地が広がる。

 
17:06 大船渡湾を望む


17:18 「陸前高田10km 気仙沼30km 仙台163km」


 大船渡の市街地を抜け、広田半島方面に向かう県道38号線が分岐すると、国道45号線は通岡峠に向けた急坂となる。
 地図を見ると、通岡峠の坂道には激坂マークが3箇所も付いている。そこで、最初立てた計画では、可能であれば通岡峠を避け、大船渡線の線路に沿って海沿いの道を迂回しようかと考えていた。しかし、日没までだんだん時間がなくなってきたし、考えてみれば、海沿いの道とて勾配が緩やかとは限らない。私は一か八か、通岡峠越えを試みることにした。

17:26 「注意 急勾配 急カーブ これより3km間」


 3kmも激坂が続くのか・・・・・・。

17:35 峠付近に建つ妙な施設


 確かに上り坂はきついことはきつかったが、坂道の距離自体は大したことはなく、思ったよりもあっさりと峠までたどり着くことができた。「急勾配3km」の看板は、どうやら峠を越えた後の下り坂をも含めた距離だったようだ。

17:39 通岡峠


 ここから先はいよいよ、津波により壊滅的被害を受けたと伝えられる陸前高田市に入る。

17:48 下り坂が終わり、陸前高田の市街地に入るが・・・・・・


 宮古や釜石、大船渡はいずれも、津波により被害を受けたとはいえ、一歩内陸部に入れば以前と変わらない平穏な町並みが広がっていた。
 ところが、陸前高田の場合は違った。市街地そのものが消えてしまっていたのである。

17:55 陸前高田市街


ここは何かの競技場だったのだろうか


道路脇にうず高く積まれたがれき


国道の気仙沼方面を望む


見渡す限りの更地が広がる

 声を失う、とはまさにこのことだった。
 かつては市街地が広がっていたであろう国道沿いには、今や人っ子一人いない。更地の中を、ただ車が行き交うばかりである。唯一、ガソリンスタンドだけが国道沿いで営業を続けていた。


津波に突き破られた跡が生々しく残るホテル


道の駅高田松原


破壊された町並みの向こうに「奇跡の一本松」が見えてきた

 江戸時代に植林された高田松原の7万本の松も、津波により根こそぎ流された。
 ただ、この1本だけを残して。



 今ここで海の方を眺めてみても、かつてここに松林が広がっていたなどとは到底信じられない。何もかもが破壊し尽くされた市街地を見ると、こうして1本だけ松の木が生き残ったのが、本当に奇跡のように思える。
 あの東日本大震災とは何だったのか、マスコミ報道だけでは決して伝わらない「現実」を突きつけられた思いがした。

 陸前高田の市街地を抜け、先を急ぐ。もう日没まで時間がない。気仙沼の市街地に入る手前には、只越峠という峠が控えている。真っ暗になってしまう前に、せめて只越峠だけでも越えてしまいたい。真っ暗闇の山道を走るのは、もうこりごりだ。

18:28 宮城県気仙沼市


 岩手県ともいよいよお別れ。ここからは宮城県に入る。

18:35 穏やかな海が広がる


 夕闇の中、緩やかなアップダウンが続く海沿いの道を進む。海から離れて只越トンネルという短いトンネルを抜けると、いよいよ今日最後の峠越えとなる、只越峠に向けた上り坂となる。3箇所のカーブを通り抜けて只越峠を抜ける唐桑トンネルの入口にたどり着いたときは、時刻は既に19時を過ぎていた。空は9割方夜になってしまったが、とにかく、真っ暗になる前にここまでたどり着くことができた。唐桑トンネルを抜けてしまえば、気仙沼の市街地は近い。

 トンネルを抜けると、下り坂になる。ブレーキをかけながら、慎重に進む。昨日の「死の行軍」である意味度胸が付いてしまったのか、今日は真っ暗な中を走っていても、それほど恐怖を感じない。ゴールまでもうすぐそこだという、精神的なものもあるかもしれない。
 国道を左折し、、気仙沼市街に向かう県道に入る。
 県道に入ると間もなく、鹿折唐桑の市街地を通り抜ける。沿道が更地になってしまっているようだった。
 地図と、道路脇に建つ案内表示とを頼りに、気仙沼駅前に向かう。気仙沼市役所周辺は高台にあるのか、津波の被害を受けていないようだった。

19:36 気仙沼駅前


 計画よりは30分以上遅くなってしまったが、無事に気仙沼駅前に到着する。昨夜、無理をして宮古まで走っておいて本当に良かった。


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