【東海北陸自転車旅行】6日目 京都⇒敦賀

6日目【2011年5月30日(月)】 京都⇒敦賀(112.17km)



09:14 出発
 昨夜の天気予報では、今日は朝には雨が上がるはずだった。とすれば、どうせ今日は走行距離も短いことだし、雨が上がってからの出発にしよう、と思っていた。
 ところが、降り続く雨は一向に止む気配がない。午前9時を過ぎても、パラパラと降り続いている。やむを得ず今日もまた、雨の中を出発する。
 
 今日は大津まで引き返し、そこからは琵琶湖の西岸を通って敦賀まで行く。しかし、単に昨日来た道を引き返すだけというのも芸がない。そこで山科までは、かつて京阪電鉄京津線が通っていたルートを走ることにした。
 京津線はその名の通り、京都と大津を結ぶ路線。かつては京阪三条から浜大津までの路線だったが、京都市営地下鉄東西線の建設に伴い、路面電車になっていた三条―山科間が廃止されてしまった。
 今日はあいにくの雨だが、在りし日の京津線に思いを馳せつつ府道を走る。実際に走ってみるとかなりの急勾配で、こんな場所をよく電車が走っていたなと思う。
 山科からは国道1号線を引き返し、大津に抜ける。

10:33 大津市内(国道161号線)


 京津線は現在、京都市営地下鉄東西線に直通運転を行っているが、大津市内には未だに路面を走る区間も残っている。地下鉄仕様の大型の電車が道路をゴロゴロと走ってくるのを見ると、さすがに驚かされる。

10:35 浜大津駅


 京津線の終点、浜大津駅。
 今日はここから、琵琶湖の西岸を走り敦賀に抜ける。もちろん、ただ国道161号線をひた走るだけではつまらないので、適宜、旧道や自転車道を走りながら行くつもりである。

11:05 大津錦織郵便局
 雨が止み、日差しも差し込んできた。そこで、郵便局に立ち寄る傍ら、対雨天用装備も解体してしまう。
 ところが、これでもう雨が降ることはないと考えるのは甘かったのだ・・・・・・。

11:40 坂本付近(国道161号線)


 琵琶湖沿いの道を走るが、あまり琵琶湖は見えない。
 止んだと思った雨が、またパラパラと降ってくる。そしてまた止む。しばらくするとまた降ってくる。その繰り返しだ。

12:46 志賀付近(県道558号線沿い)


 高台を通る道から琵琶湖を望む

13:07 びわ湖レイクサイド自転車道(県道601号線)


 この辺りには自転車道も通っているので、せっかくなので自転車道を走ってみることにした。が、「レイクサイド」とは名ばかりで、実際には湖が見えない区間の方が多かった。

13:23 近江舞子駅前


 近年、人名のような名前の駅が続々と開業しているが(「井川さくら」や「吉川美南」など)、「人名のような名前の駅」の元祖といえば、おそらくはここ、近江舞子であろう。

13:33 自転車道の看板前にて


 近江舞子の次駅、北小松駅付近で自転車道は終点となる。

13:41 北小松駅先(国道161号線)


 ようやく琵琶湖沿いの道を走る。
 今度こそ雨は止んだ・・・・・・と思いかけるが、しばらくするとまた小雨が降ってくる。未練がましい雨である。

13:48 高島市に入る


14:09 近江高島駅付近


 ここから近江今津までは、県道558号線を走る。琵琶湖沿いの道は遠回りだし、国道161号線はバイパス道だ。
 ・・・・・・が、この付近から、今度は強い向かい風が吹き付けてくるようになった。おかげで力を入れてペダルを踏みしめても、なかなか前に進んでくれない。風に煽られて雨合羽(100円ショップで購入)が破ける。が、雨は相変わらずパラパラと降ってくるので、雨合羽を手放すわけにも行かない。自転車にとって、強い向かい風は強敵だ。

14:40 新旭


 安曇川に架かる橋を渡る(歩道が反対車線側にのみ付いていた)。沿道は農地が目に付く。
 さすがに雨は止んだが、強風は相変わらずである。もういい加減にしてくれ!!
 新旭の市街地は、妙に古びた雰囲気が印象深かった。

15:17 近江今津駅前(京都から70.05km地点)


 ようやく着いた・・・・・・。
 休憩も兼ね、今津郵便局に立ち寄って旅行貯金をする。

 ここから先は、琵琶湖に沿って走る県道54号線を北上し、国道161号線に合流して以降はそのまま国道を北上して滋賀・福井県境を越える。
 ・・・・・・が、ここで一つ、重大な問題が発生していた。国道161号線の県境を越える区間が「大雨の影響で通行止め」だという警告表示が、今津までの区間でしきりに出ていたからである。敦賀方面に向かう場合は迂回路(近江塩津で国道8号線に合流するルート)を使うようにも求めている。

 迂回路は機能しているようなので、とりあえず、敦賀にたどり着けなくなるという最悪の事態は避けられそうだった。しかし迂回路を使えば、かなり距離は長くなる。自動車ならそれでも問題はないかもしれないが、自転車にとって、峠道の距離が伸びるのはきつい。
 何とか国道161号線が復旧してくれるよう祈りつつ、自転車を進める。

16:04 国道161号線に合流


「敦賀23km 福井82km」。峠道とはいえ、あと2時間もあれば敦賀まで着けそうだ。
 ・・・・・・通行止めが解除されていれば。
 ここから先は、福井県境に向けた上り坂になる。止んだと思った雨が、また降りだした。

 結局、近江塩津方面に向かう国道303号線が分岐する地点(野口交差点)まで来ても、特に国道161号線が通行止めである旨の表示はなされていなかった。一安心し、県境に向けて国道161号線を進む。
 ここから先は県境を越えるまで、勾配がきつい区間が続く。それは致し方ないのだが、途中に工事中で片側交互通行になっている区間があり、交通整理の人に「さっさと通り過ぎてよ」と言われたのには参った。こんな勾配区間では、スピードを出すにも限界がある。「自転車なんかで通るんじゃねえよ」とぼやかれたような気もしたが、これは空耳だったかもしれない。

17:00 「国境」(くにさかい)バス停


 民家もほとんどない上り勾配の山道を延々と走り続けていると、やがて前方にバス停が見えてくる。その名もズバリ「国境」。福井県との県境が近いことを教えてくれる。

17:05 福井県・敦賀市に入る


 長かった上り坂がようやく終わり、県境までたどり着く。ここは滋賀県と福井県の県境であり、近江と越前(敦賀は「嶺南」と呼ばれるが「越前」である)の国境であり、そして近畿と北陸の境界でもある。とうとう自転車で、北陸に足を踏み入れるのだ。
 県境を越えると、今までの急な上り坂が一転して、急な下り坂になる。まだ小雨はぱらついていたが、おかげで北陸本線の新疋田駅付近まで、ほとんどペダルを踏むこともなく進むことができた。

 新疋田駅付近を過ぎると、疋田交差点で国道8号線に合流する。

17:34 北陸本線の「電車」が行く


 北陸本線はかつては交流電化の路線だったが、2006年に敦賀までの直流化が完成し、敦賀から京阪神方面への直通電車が走るようになった。が、電車は4両編成と短く、敦賀から京阪神方面への直通需要がそれほどあるとも思えない。若狭湾沿いを走るローカル線・小浜線の電化といい、「原発マネー」が北陸本線の直流化や小浜線の電化を可能にしたと思えてならない。

 その後2011年の12月に至り、政府は突如として、北陸新幹線の金沢―敦賀間の延伸工事を認める方針を打ち出した。おそらくは、原発を何が何でも再稼動させたい政府が、福井県に対して最大限の便宜を図った結果だろう。

17:58 敦賀駅前


 雨と強風の二重苦に加え、あと少しで「通行止め」の三重苦になりかねなかった今日の行程だが、どうにか終了した。幸い、雨は上がっていた。

 日没までまだ時間があるので、すぐには宿へ向かわず、敦賀の市街地を走る。一箇所、行ってみたいところがあったのだ。

18:13 (旧)敦賀港駅


 かつては敦賀駅から敦賀港まで線路が通じ、旅客列車も運行されていた。戦前には敦賀とソ連のウラジオストクを結ぶ航路も運航されるなど、国際連絡輸送の一端を担っていた。
 ここ敦賀港は、第二次世界大戦中、駐カウナス(リトアニア)総領事だった杉原千畝が発行した「命のビザ」を持ったユダヤ人たちが、日本に上陸した場所でもある。ユダヤ人はシベリア鉄道でウラジオストクに向かい、そこから航路で敦賀にやって来たのだ。その後、彼らは列車で神戸や横浜に行き、そこから航路でアメリカに向かったという。戦時中、しかも日独伊三国軍事同盟が結ばれているという状況下でもなおユダヤ人たちを安全に入国・出国させるという措置がとられたというのは、正直、驚きでもある。

 この地には、その杉原千畝を記念した植樹もなされている。


「杉原千畝氏夫人・幸子氏来敦記念の植樹」


敦賀港を背景に



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